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うつの人が生き抜く方法論

持っているだけで、自動的に「ちゃんとしたカウンセラー」と社会に認められる「臨床心理士」という資格を自ら手放してみて、はじめて自分の等身大の力量の程をひしひしと感じている。
(この記事集 『臨床心理士会を自主退会』 参照)

人は、たとえば目の前にいる相手より収入が多いというだけで、自分のほうが世の中のことをよく理解していると勘違いし、社会が認める資格を持っているだけで、持っていない人よりも見識が深いと勘違いするものである。
大人だというだけで子どもより状況が分かっていると勘違いし、教師であるというだけで生徒よりも、またカウンセラーであるというだけでクライアントよりも、人格的に優れていると勘違いする。
そして、自分がうつではないというだけで、うつの人を見下すのである。

そういう、人間一般が陥りやすい傾向のことは知っていた。
知ってはいたが、それでも私自身、少なからず「資格」というものの魔術にはまってしまっていたのかもしれない。

まったく、自分のありのままの力を知るという一見単純なことにおいても、「考え方の切り替え」などというものが役に立つことはほとんどなく、実際に行動し、その状況に身を置くことがどれほど大事であるかを、改めて知る思いだ。
ただで手に入るものなどない、ということなのかも知れない。
もちろん、闇雲で無節操な行動を勧めるつもりはないが。

「臨床心理士」という資格を持っているだけで、いつの間にか分かったつもりになっていたが、実は自分の思考がまだまだだったと感じた点について、一例をあげるならば……、

うつの人々が、家庭や学校・職場の中で、どれほど不当な扱いや評価を蒙っているかについては、これまでさまざまな角度から述べてきたとおりであるには違いない。
しかし、では実直で正当な生き方しかできないうつ性格の人々が、そういった理不尽な圧力を加えられたときに取りうる対応の方法はどうなのか、という点である。

現在の私がうつの人と会った場合、まずはその人の家族をはじめ、周囲の人々を鋭く批判的に見ることによって、場が内包する矛盾をつまびらかにするよう努める。
そうすると、半ば自然と、本人が認めることのできなかったその人自身の正当性・長所が、相対的に浮かび上がってくる。
その人が自分の置かれている状況を詳細に俯瞰できるようになるにつれて、約半数の人はかなり早い段階で自信を回復し始めるのである。

とくに、すでに「自分は間違ってなどいないのではないか」という気持ちを、ある程度明確に持っていた人だと、たった1回の面接で見違えるほど生気を取り戻す場合も多く、もちろんそのまま終結というケースもある。
初めてカウンセリングに訪れた人が「目からウロコ」と喜び、次回の面接を約束したが、後日電話がかかり、「申し訳ないんですが、相談することがなくなっちゃったので……」とキャンセルされたことも何度かある。

ちなみにこういった心理的変化は、とくに女性の場合皮膚によく現れるようであり、生気の回復にともなって、まず例外なく肌の色つやが別人のようになる。
また面白い例では、なぜそうなるのかはよく分からないが、髪の奇妙な寝癖までが見る見る落ち着いてしまう人も時々いる。
ともあれ、そういった場合、自分の正当性を「確認しに来た」というニュアンスが、そもそも強いのである。

しかし、残りの半数の人たちはそうはいかない。
理由はいくつかあるが、概して、不当な人格否定・圧力を受けてきた歴史があまりに長かったり、また圧力を加えてきた側の理屈があまりに不合理で、訳が分からないために、かえって容易には自分の正当性や長所を認知できないのである。

人間関係、とくに家族関係の中で展開されるカオスというのは、実に恐ろしい。
まったく筋の通らないことを、大人であることを頼みにして、さも自信ありげに言われてしまうと、言われた方は何が何だか訳が分からなくなってしまう。
しかも皮肉なことに、言われた側が、ものごとの理非曲直がよく見える人であった場合、訳の分からなくなる度合いはよりいっそう強いのである。

考えてみればそれは当然の話である。
「自分ならば、そこまで自信たっぷりに言うからには、充分に根拠がある時だけだ」というのがうつ性格の人の考え方なのだが、それと同じ見方で相手のことも見てしまうからである。
うつ性格の人は、世に「何の根拠もない自信」というものが数限りなく存在することを、はっきりと意識しておかなければならない。

また集団の中で、具体的に自分がどのような目に遭ってきたのか、漠然としか思い出せないうつの人は多い。
とくに親との関係においてである。

経験的に見る限り、それがよく思い出せないのは、あまりにも強い苦痛を伴う体験だったからというよりも、相手の態度や言い分があまりにも筋の通らないものであったために、うまく記憶が整理できていない為である場合が圧倒的に多い。

しかし、こういった人々が自分の正当性を認知できないのには、別の理由もあるのではないかと、ここのところしきりに思うのである。
その理由とは、「自分の正当性などに気づいても、なす術がないのだから仕方がない」という理由である。

確かに、自分の正当性や相手の不当性に気づいても、その後どうしようもないのでは、気づかないほうがましだと言えなくもない。
言わば、下手に気づいてしまうことによって、思考の逃げ場までも失ってしまうからだ。
どういうことかと言うと、「全部私が悪いのです。私さえ周りの思い通りにやれれば、何も問題はないのです」という考えは、人を責めると必要以上に罪悪感が刺激されるうつ性格の人にとって、しばしば最終的な落としどころ、逃げ場になっているのである。

不当な圧力や攻撃や否定を受けたときでも、最終的にその場を制するか、悪くともやり過ごすことのできるような方法……
たとえば、相手からの攻撃を起点としつつも相手の体を崩し、弱さを露呈させ、なおかつ技にかかったものを笑わせてしまうような日本古来の武術のような方法論が、人間関係においてもありはしないのだろうか。
このような方法論は、やはり私の妄念にすぎないのだろうか。

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