幸朋のカウンセリングについて(全文)
うつ・パニック障害・発達障害、あるいは家族関係や人間関係の問題……
カウンセリングに訪れる方々の訴えはさまざまで、またその傾向は時々刻々変化しています。
しかし、あらゆる世代において、社会に対する不安や劣等感、あるいは人間不信という傾向は年々強まっています。
実際、それらの悩みのほとんどは、理不尽な家族や理不尽な上司など、相手はいろいろながら、何らかの人間関係に起因します。
ところが、カウンセリングに来談される方々の多くは、相手の自信たっぷりな態度のために、あるいは自分が少数意見派であるために、自分の方がおかしい……このおかしい自分をどうすればいいのか、と悩んでおられます。
ですが、思い悩むタイプの人は、思い悩むくらいですから、本質的に思考力のよく発達している人が多く、ものごとの筋道を間違えることはあまりありません。
ではなぜ、近年、本質的には優れた面を持つこうしたタイプの人たちの方が、社会で浮き上がってしまうことになったのでしょうか。
それを理解するためには、社会そのものがどのように変わってしまったのかを、知らねばなりません。
実は、一般的に人がものごとを判断するのに、思考力はそれほど使いません。
つまり、ものごとの本質や筋はどうでもいい場合が多く、意外とその場の雰囲気やその人なりの常識によって、どうするのが得なのかを、かなり直感的に判断しているのです。
その、しばしば筋の通らない理屈に対して、むしろ思考力の高い人のほうが戸惑い、結果的に自分を否定し、うつに陥ったりします。
ご近所付き合い・幼なじみ・親戚付き合いといった、太古から社会性を育む土壌として機能してきた「コミュニティ」は、高度成長期以降、たったの数10年でほぼ完全に崩壊してしまいました。
同時に、子どもたちが大きな集団で遊ぶことがなくなり、さまざまなタイプの他人との付き合い方を、学ぶ機会を失いました。
そのため日本人は、性格がよく似た同士はまだしも、自分とは違うタイプの人に対する理解の仕方、付き合い方が分からなくなってしまったようなのです。
内向的な人々のよさ、能力の高さは、短期間の付き合いでは分かりません。しかし、学校でも企業でも、求めるのはすぐに分かる能力ばかりです。
これは、人付き合いが浅く表面的になってしまったこと、きちんと深く考える人が評価されなくなってしまったことの、明白な表われです。
また一方、思慮深く内向的な人から見ても、自分自身が思慮深いために、「誰でもこのくらいは考えれば分かるだろう」と考えてしまいます。しかし、実際にはそうではない。
「ああ、この人たちは考えて行動しているわけではないんだ」ということを理解するためには、本来、幼い頃からさまざまなタイプの子どもと、否応なく付き合う必要があったのです。
幸朋のカウンセリングのもっとも一般的な流れとしては、「自分を知る」ばかりでなく「相手を知る」という方法をバランスよく進め、さまざまな勘違いから形成された劣等感コンプレックスを探索し、その解消を目指すことになります。