人間関係講座 創作事例 『A子の場合』 全文1 大阪の幸朋カウンセリングルーム

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人間関係講座 創作事例 『A子の場合』全文1 大阪の幸朋カウンセリングルーム

第1部

【カウンセリングを受けるに至った経緯】

A子が、私立大学の福祉学科を卒業したのは、今から9年前。
4年前に2度目の転職をし、現在は人材派遣会社の社員だが、昨年チーフという職につき、上下からの板ばさみによるストレスから会社に行けなくなって、うつと診断された。
2ヶ月前から休職している。休職期間は当初2ヶ月の予定だったが、現段階では復職できそうにないので、先日、医師の診断の上6ヶ月に引き伸ばされたばかりだ。
小学校の頃から何度か精神的な危機を体験してきたが、今回ばかりは自力で乗り越えられそうになく、もともと家族関係についてもひそかに抱えている問題があり、いろいろを見直すために思い切ってカウンセリングを受けることにした。

【ボランティア体験】

大学時代は、いちおう福祉の仕事に就こうと考えていた。そもそも福祉学科に入ったのは、できれば将来、少しでも誰かの役に立ち、喜んでもらえるような仕事がしたいと考えていたからである。
高校2年のとき、友達に誘われて、老人ホームでの体験学習を兼ねたボランティアに何度か参加したのが、福祉学科への進学を決めるきっかけだった。
初めて参加した日、A子が職員から指示された仕事は、ベッドの横や談話室の椅子に座り、お年寄りたちの話を聞くことだった。下働きみたいな仕事をさせられるものと思っていたので意外だったが、どうしたいきさつでそうなったのか、やはりそれは少し例外的なことだったようだ。

A子は小学校から中学にかけて、ほんの2年半ほどだったが、母方の祖母と同居したことがあった。
田舎の祖父が亡くなって、少し足が悪かった祖母を長女である母夫婦が引き取り、祖母自身が亡くなるまでの間だった。
祖母は聞き上手で、共働きで帰りの遅い母の代わりに、炬燵で学校であったことの話などを毎日聞いてくれたりした。ひょっとすると、親との会話を全部足しても、祖母との2年半の方がたくさん会話をしたのではないかと思うほどである。
祖母から聞いた昔の日本についての知識もあったので、A子にとっては、ホームでお年寄りと話すことにはまったく抵抗がなかった。
お年よりたちも分かったもので、死んだ連れ合いのことや昔のことをよく話してくれ、「あんた若いのにお話ししやすいわぁ」と言ってくれる言葉に嘘はないようだった。

【小学校時代のこと】

母は役所勤めをしながら家事をこなす、言わば根っからそつのない人だが、悪く言うと外面(そとづら)のいい人である。職場でもきちんと昇進し、今は課長職である。朝から晩まで機械のように働く点はすごいなあと思っていたが、A子の学業成績のことは気にする反面、学校での様子などにはほとんどまったく興味を示すことのない人だった。
また新卒で就職して以来、ずっと同じ会社の経理として働く父は、いわゆる頭の固い人で、自分のただただ堅実な生き方に何の疑いも持っていない。例えば脱サラしてやりたい仕事で生きようとする人たちのことを、せせら笑うようなところがあり、「あんな奴らにだけはなったらあかん」と自身たっぷりに子どもに説教する。
そんな父のことを、A子だけではなく母も内心見下しているようだったが、何かでA子を叱るときだけは、いつも両親の意見が一致していた。だから、A子が叱られるときは常に、誰からも助け舟はなかった。
そのような両親に対して、学校のことや今こんなことに興味があるという話をすることはなかったし、そもそも話せる雰囲気になったことがなかった。

A子には弟が1人いたが、両親がA子ら姉弟に接する態度は、明らかに違っていた。何かにつけて、A子にだけは「お姉ちゃんなんやから」と、子どもなら当たり前のわがままを言うことも許されなかったし、皿洗い程度だが低学年の頃から家事をさせられ、習い事にも勉強にもうるさく言われた。でも弟には明らかに甘い。というよりも、気を遣っているようにさえ見えた。
なぜ、よく手伝いをさせられている自分がしょっちゅう叱られて、何もしない弟が気を遣われているのか、A子にはさっぱり分からなかった。しかし、自分には叱られる何かがあり、弟には気を遣われる何かがあることだけは分かり、当然ながら深い兄弟コンプレックスが形成されていた。

弟は弟で、幼い頃は仕方なかったとしても、2つしか違わない姉が家事をやっているすぐ横で、平気でずっとテレビゲームを続けられるタイプだった。何の疑いもなく、自分のことを特別な存在だと思っている弟の感覚は、A子には理解できなかった。
小学生の頃から、たまらなくなって母親に不満を訴えたことは何度かあったが、まず何を言っているのか分からないような顔をされ、しまいにはイライラしだして「それはしゃあないやんか!」と、訴えるこちらがおかしいという勢いで片付けられ、下手をすると嫌味を言われた。
何がどうしゃあないのかA子には分からなかったが、気持ちは飲み込まざるを得なかった。

小学校5年の秋頃、やはり母親に不満を訴えたところ、虫の居所が悪かったのか、いつも以上に恐ろしい剣幕で却下され、罵倒された。その夜、A子はすごく恐い夢を見た。
ワンピースを着た母親が表情のない眼をうっすら開け、自宅の和室の柱に、立ってもたれかかっている。明かりは点いておらず薄暗い。身じろぎもしない母親の様子に、恐る恐る目を凝らして見ると、母はもたれかかっているのではなく、柱から出ているフックのようなものに、背中を吊り下げられているのだった。さらに目を凝らすと、その首にはくっきりと傷跡があり、首と胴をつなぎとめているらしい縫い目が見えたのである。

その夢から数日は、母親の眼を見るのも恐ろしく、そばにくると身が硬くなった。
夢だとは分かっていながら、自分の本当の母親はもうこの世にはおらず、この母親は作り物なのだという考えが、しばらくは振り払えなかった。ある晩などは、母親の風呂上りにその首筋を凝視していて、「何?この子」と怪訝そうに言われた。

その少し後、A子は学校で執拗ないじめに遭った。
A子は、もともと女の子のグループ感覚にはついていけないところがあったが、いちおうあるグループには入っていた。その中で、ある大人しいタイプの子が一時 ”はみ子” にされていたのだが、A子には、どうしても周りと同じように、その子をいじめることができなかったのがきっかけである。
どうしようか悩んでいたのだが、朝、学校でその子と会った瞬間、罪悪感に耐え切れず、ほとんど反射的に普通に話しかけてしまったのである。リーダー格の子はその場にいなかったが、グループの中の1人がいて、たちまちA子が次のターゲットとなった。

まず、リーダー格を含むグループの3人がA子のところにやってきて、A子のことをけなした。何を言われたのかほとんど思い出せないが、「きしょい」という言葉には女の子としてひどく傷ついた。言われている内容がまったく理解できないし、いきなりの攻撃だったので驚きの方が先に来て、結局一言も言い返せず、泣き出すことすらできなかった。
そのときの引きつった自分の笑顔を想像し、その想像した姿と「きしょい」という言葉が重なった。自分がひどくみすぼらしく、誰からも愛されない人間に思われた。

けなされた翌日からは、とにかく無視された。彼女らはA子の存在に気づいていないわけではなく、瞬間的には目が合うこともある。あるとき、グループの1人がちらっとA子を見たあと、笑いながら別の子に話しかけた。
話しかけたほうはチラチラとこちらを見ているようだったが、話しかけられた方は、いっさいA子のほうを見ることはなかった。それでも2人は部分的にしか話が聞こえないように、ヒソヒソ、クスクスと話し続けた。話しかけられた子は、もともとA子がかばった子だったので、そのショックは大きかった。 客観的にはこの上なくひどいことなのだが、それでもA子の中に湧いてきたのは怒りではなく、「こんな自分なんか、いなくなればいいのに」という思いだった。
A子は毎日1人で家に帰り、自室で泣き、本気で死ぬことを考えた。でも、ときどきふっと悲しくなくなるときがあり、そのときは悲しくない代わりに、シャーペンで自分の腕をガリガリと傷つけたい衝動に駆られた。何とか思いとどまったが。

【祖母が家に来る】

祖母が家に来たのは、いじめが始まってから2ヶ月ほどのことで、それはA子にとって紛れもなく救いとなった。A子が担当していた家事を、すべて祖母が引き受けてくれたことも大きかったが、何より大人の中で唯一祖母だけが、A子の様子がおかしいことに気づいてくれたのである。
弟が遊びに行って2人きりになったとき、様子を察したらしい祖母は、はじめはそれとなく、今学校では楽しいのかなどと尋ねてきたが、A子がまともに答えずにいると、
「あんた、いじめられてないか?」
と、静かにではあるが、はっきりと尋ねてくれたのである。自分がいじめられているということ自体認めたくはなかったので、もしもはっきり尋ねてくれなかったら、告白はできずじまいだったかもしれない。
何か答えなきゃと思った瞬間、出てきたのは言葉ではなく、堰を切ったような泣き声と涙だった。
「よしよし、お婆ちゃんが絶対何とかしたる」 と、A子の頭を抱えるようにして、太い指で撫でてくれたときにはもう、しゃくり上げながらあらん限りの声を張り上げて泣き、祖母の服をつかんでいた。祖母は、大地のようだった。

A子の話を聞くにつれて、祖母は相手の子らへの怒りをあらわにした。小学生に腹を立てても、大人気ないという考えなどは頭にないようだった。
その態度は、どんな慰めよりもA子にとっての救いになった。自分は間違っていなかったことが、はっきりとしてくるからである。もともと祖母のことは好きだったし、よく知っているつもりだったが、見たことのない迫力だった。

祖母からその話を聞いてなお、両親ははじめ担任との面談を渋っていたみたいだが(本当に信じられない!)、祖母はとくに父親を説き伏せてくれたようだった。両親が有給を使って学校に行き、担任と面談してくれたお蔭で、ほどなくいちおういじめは収まったが、ぎくしゃくとはしていた。
しかし、祖母のおかげで相手に対する怒りを感じることができていたので、以前ほど恐怖は感じなくなっていて、どうにかこうにか不登校にはならずに乗り切ることができた。でも、もともとけっこうはっきりと物を言う性格のはずだったA子だが、大人になるまで、それはほとんどできなくなっていた。

何とか5年生をやり過ごし、6年生になったA子は、アニメが好きな女子たちの小さなグループに、何とかうまく入ることができた。いわゆる変わり者と思われている集団であることは分かっていたが、彼女らの態度は大人びていて、言葉は常にブラックで、そして的を射ていた。しかし、それだからこそこのグループは、A子にはかえって裏切られる心配のない場所だった。
祖母に、彼女らの1人が「男子にこんなきついこと言うねんで」などという話をすると、楽しそうに手を叩いて笑ってくれた。祖母のことは、はじめはただ孫思いの老人としか思っていなかったが、実は彼女らとかなり似たブラックかつ聡明なタイプで、そして自分の性格も本当は祖母に似ているのではないかと思った。
母も、どことなく棘を含んだ調子ではあるが、「あんたはお婆ちゃん似や」と言っていた。どうやら母は、実の親である祖母を少し苦手に感じているらしかった。だが、31歳でカウンセリングを受けるまで、実は母がA子自身のことも少し苦手だという発想には至らなかった。

中学2年になってすぐに祖母が死んだとき、A子は悲しみを通り越して、1週間ほど呆然とした。祖母は亡くなる前、ほんのわずかしか寝つかなかったので、現実感のない、まるで夢のような死だった。いや、祖母が死んだことよりも、祖母がいた2年半の方が夢だったようにさえ思われた。
しかし後になって、祖母がうちにやってきたのは、人生最後の時間を使って、自分と似たA子を助けるためではなかったか、という気がした。今でも辛いことがあると、自然と祖母のお墓に足が向く。

【大学時代〜新卒就職】

大学に入り、専門科目の授業を受けたり実習に行ったりする中で、「やっぱり自分は、福祉には向いてないんじゃないか」と感じるようになった。困っている人の役に立つことは確かにいいことだとは思ったが、その仕事に喜びを感じる自分が、どうしてもイメージできなかったのである。ホームでお年寄りの話を聞いた体験で抱いた、福祉の仕事に携わりたいという素直な気持ちと、大学で習うことが、どうしてもうまくつながらなかった。

そんな迷いもあって、A子が本格的に就活を始めたのは、4回生になってからだった。
結局は福祉の仕事を探さず、手堅い人生を順調に歩んできた父親の強い押しに流され、なんとか金融系の会社に就職した。そういえば父は、そもそも福祉学科に進学するときにも、あまりいい顔はしていなかった。
しかし入社早々、思っていた以上に、変化の少ないルーティーンワークが苦手だということに、自分自身気づかざるを得なかった。きちんと意味のある書類はいいとしても、他の女子社員は、ほとんど意味のない書類を作ることにも何の疑いも持たないようだった。それでいて、上から指示されていないことについては、どう考えても必要なことであってもスルーするのである。父と母が、こういう仕事を何10年もこなし続けてきたのかと思うと、彼らのことがこれまで以上に、異様に大きく感じられた。
そこに不安やストレスを感じない感覚が、A子には理解できなかった。そして、逆にそんなことにストレスを感じる自分に対し、「自分は社会人に向いていない」という劣等感を感じざるを得なかった。

第2部

【新入社員の年】

同じ課に配属された同期のC子と先輩2人が、A子と一緒に昼食を取る仲間となった。いずれも女子社員である。
C子は人懐っこく、けっこうはきはきとものを言うタイプ。また、他の部署の様子を見聞きする限り、上司にも恵まれていると言うべきだった。
直属の上司であるB課長は40代後半の男性で、一見静かなタイプだが、部下が業務上の問題を訴えると真面目に対応してくれるし、案外上に対してもはっきりとものを言う人だった。ただ、かえってそのことが災いしてか、出世は芳しいとは言えない。
隣の課長は少し若いが、いわゆる「われ関せず」のタイプで、出世のスピードはまず順調。下の者にばかりややこしい仕事が集中し、古株が楽な仕事を取っていても、状況を改善する意志がまったくないらしいと、小耳にはさんだC子がA子に耳打ちした。

それにしても、C子の情報通ぶりにはいつも驚かされた。A子と同じだけしかこの会社にはいないのに、いつの間に誰と話したのだろうと思う。
A子のアフターは、たいていは帰宅するだけだったし、遊ぶとしても2〜3人の学生時代の友人とばかりだった。
「C子はけっこう同僚と遊びに行ってるのかなあ。先輩ともちょこちょこ遊んでるみたいだし……」 と思うと、少し焦る気持ちが疼いた。だが、多趣味で友達が多く、ブランドにも詳しいC子の真似が、とうてい自分にできるとは思えなかったので、「自分は少しでもきちんとした仕事をしよう」という方向に気持ちを向けることにしていた。
結果的に、A子自身ははじめ知らなかったが、課内での仕事の評価は高い方だった。

【B課長の休職】

12月はじめ、B課長が、体調が優れないとのことで欠勤した。かなり疲れているようだとは思っていたが、それ以上に、最近部長との関係がよくないらしいのが気にかかった。
その後半日出勤の日が何日かあったが、結局は年の瀬、うつのため3ヶ月の休職の必要があるという医師の診断書が出されたと、直接部長から聞かされた。

「これで(休職は)2回目や。どうもあいつは……」 と部長はこぼした。
課長が以前にも休職したことがあったというのは初耳だった。A子がひどく不快に思ったのは、部長の心配や困惑を装った表情の奥に、あからさまに勝ち誇ったような感情が見て取れたことだった。A子にとっては、不快というよりも恐怖に近い感覚だったかもしれない。

C子に部長の表情のことを言うと、
「ああ、最近Bさんとはギクシャクしてたみたいやからなあ。まあBさん、ちょっと神経質なとこあるからちゃう?」
と、的はずれな答えが返ってきた。また、うちの課長はちゃんとしているというのが共通の認識だと思っていたので、C子のB課長に対する評価に驚くと同時に、まるで自分が突き放されたような気がした。

年が明けてしばらくの間、課の指揮は直接部長が取った。
例の表情には引っかかったが、声が大きく快活、人を笑わせるのがうまく、かなり早い出世を遂げたと聞いていたので、きっとすごく能力の高い人なのだろうとA子は思っていた。

しかし実際、仕事はかなりやりづらくなった。
たとえば、指示が曖昧なために困惑することが多く、かといって細かい質問をするとあからさまに不快な顔をされる。結局あまり質問ができないまま、先輩方に聞きながら仕事を仕上げて持っていくと、それはそれで叱責されることが少なくない。何よりも、指示が明確でないのと、やったことがない仕事なのに、自分でやり方を考えなければならないストレスが大きかった。

しばらくして、元の課長の仕事は、その年度一杯隣の課長が兼任することになった。例の、「我関せず」の人である。状況が改善されるはずがなかった。
やがて、課内でのA子とC子の立場の差が少しはっきりとしてきた。どう見ても、自分の方がいつも忙しい感じがする。はじめは思い過ごしかとも思ったが、A子のほうがややこしい仕事を与えられることが多いように思える。どうもA子の負担がじりじりと大きくなっていく。
仕事量もさることながら、むしろ緊張からくる精神的負担が大きい。

A子は、C子と自分の違いに気づき始めた。C子が言われたことだけをこなすのに対し、A子は、仕事の先を読んでしまうのである。
今これをしなければならないということは、このことを調べておかなくてはならない。また仕事の流れ上、次にはこのことをしなくてはならないはずだ。そして、どうやれば一番合理的に処理できるかということを考えるのだが、そのやり方で本当にいいのかどうか、常に不安を感じ続ける。

C子を観察していると、そのようなところはほとんどなかった。
C子の仕事に対する態度には、迷いというものがほとんどない。処理の仕方が常にパターン的で、その成り行きをあまり追求していないのである。
それで大丈夫なのかなと思い、聞いてみると、口を尖らせて「なんで?これで何も問題ないけど」と答える。いきなりイラつかれて、ちょっと驚くと同時に圧力を感じる。
「どうすればC子みたいな感覚になれるのだろう」と、そのことはA子の劣等感を刺激した。

ある昼休み、仕事に対する自信のなさについて、話の流れで先輩2人に相談したことがあった。
先輩たちは、 「Aさんけっこうやれてるよ。まあ、そんなに頑張らんといこう」 と言った。
褒められたことは少し嬉しかったが、自分だって頑張りたくて頑張っているわけではない。どうすればC子のように仕事の先読みをせず、スルーできるのかが問題なのだ。

C子自身にも、仕事に対する悩みをついもらしたことがあった。
「どうしたら、もうちょっと楽に仕事できるんかなぁ?」
「私はあんまりストレス感じひんよ。A子、いっつも何か考え過ぎちゃう?仕事を抱え込んだらあかんよ。割り切っていかんと……」
と、C子は少し説教じみた口調で言った。 A子は後悔した。自分は悩みを漏らしはしたが、相談したつもりはない。1年目の同期なのだから、どちらも仕事についてはあまり分かっていないはずなのだが、C子は大体分かったつもりでいる。しかも、すでに見下されていると感じた。
見下される理由が分からなかった。
たしかに、A子のほうが部長から叱責されることが多くC子は少ない。しかし、そもそもC子は部長との間を行き来しなくてはならない仕事を、ほとんどしていなかったのだ。

A子の苛立ちを刺激したC子の言葉は、もう一つあった。
今から考えると、B課長の下でだと、どれほど仕事がやりやすかったかが身に染みてわかるので、A子はついつい「Bさんのときは……だった」とか「Bさんだったら」と連発してしまうのだが、それに対してC子が、 「あんた、Bさんのこと好きなんちゃう?」 と、少しにやつきながら探るような目で言ったのである。
驚いて「えー!それはちゃうよぉ!」とは言ったが、あまり強く言い過ぎると、それはそれでBさんに申し訳ない気がする。C子は、そのA子の気持ちの揺らぎを見て、言い当ててやったと思ったらしく、しつこくにやついた勘ぐりの目をやめなかった。
A子は、部長とB課長とのやり方が、どうしてこうも違うのかを考えたかったのだが、話をあらぬ方向へ、しかもひどく失礼なやり方で向けられてしまったので、もう話を続ける気も弁解する気も失せてしまった。
A子はC子に対して、「こいつ、嫌な奴」とはじめてはっきりと思った。

翌日からC子のA子に対する態度が、明らかに変わった。
他の先輩方への接し方に比べて、A子に対しては何となく淡々としており、あまり目を合わさない。また、A子が席を離れて戻ったとき、小声で先輩に話しかけていたC子が、明らかにその話をやめたりする。
話しかけられていた先輩の方が察して、一瞬「何かあったのかな」という表情を向けてくるが、何かに気づくには至らない。嫌あな予感がする。

そうかと思うと、突然C子のほうから話しかけてくることもあった。
一見これまでと変わらない話し方をするので、A子はふと自分の思い過ごしなのかなと思いつつ、普通に返すと、C子はそれには返事せずに、向かいで話していた先輩2人の旅行の会話に急に割って入る。で、そのまま3人の会話になって、A子は置き去りになる。
どれ一つとして、こうと指摘できるほどの変化ではないが、A子にとっては何やらチクチクとした痛みを覚え
る。凡庸なタイプの2人の先輩は、この一見普通のやり取りに、当然何の違和感も感じていないらしい。
「C子は、私とは話したくないのかな。こないだ仕事の悩みを話したときに、こいつ嫌いと思ったのが分かってしまったのだろうか?それとも何か気に障ることを言っちゃったのかな?」
「でも、普通に話しかけてくることもあるんだから、やっぱり私の思い過ごしなのかな?私の自意識過剰?」
A子はだんだん訳がわからなくなってきた。

2人の先輩の態度は、しばらくは変わらなかったが、やがて少し変化しはじめた。
A子に何らかの敵意があるという風ではないが、C子がA子に話しかけることが減ったのにつられるように、A子がその場にいるときといないときでは、いるときのほうが明らかに会話が少ない。とくに個人的な会話
が。
けど、ここは職場、そして勤務中だ。個人的な会話が少ないのは当然と言えば当然である。A子は、とりあえず開き直って、仕事に没頭することにした。

第3部

【新人教育】

C子の、A子に対する攻撃的な態度は続いていたが、それを振り払うようにA子が仕事に集中し続けたこともあって、課で必要な存在になってきたことはある程度自覚できた。しかし、ますますA子に仕事の負担は集中していた。

入社から1年が過ぎ、年度替りにともなって、先輩の1人が別の課に異動になり、代わりに新卒の女子社員Eが配属された。つまり、A子の課では2年で3人の新人が配属されたことになる。しかも課長は不在のままで、隣の課の課長Dが続けて兼務することになった。
明らかに異常な人事だ。当然ながら、これまで以上に仕事はスムーズに進まないだろう。会社の合併が1年後に控えていて、その下準備のためか、他の課でも不合理な人事が少なくない。

新入社員に仕事を教えるのは、当然先輩の女子社員ということだったが、古参が1人抜けたことで彼女にもかなりの負担がかかっている。また、A子がやっている仕事をEが分担することになった成り行き上、実質的にはA子が教育を引き受けさせられる形になった。
ただでさえ忙しく、しかもまだまだ新人のA子にとってはさらに負担が大きく、当然不安や戸惑いも強
かった。
だが、新入社員のEはちょっと融通のきかないところはあるものの、一生懸命に仕事を覚えようとした。たしかに仕事の覚えはあまり早くないが、やり方を間違えた時などは、ちょっと落ち込みすぎる感じがした。
「うんうん、初めてだからそれは仕方ないよ」と、A子が決まってフォローしていたせいか、EはA子を慕い、何をするにもA子に着いてくるようになった。
昼食はもちろん、帰りまでわざわざ時間を合わせてくるので、基本的に1人で動く方が楽な性格のA子にとっては、少し重かった。しかし、どうやらEは人付き合いが苦手のようだし、傷つけるわけにはいかないので我慢した。

だが、Eのこの傾向は、だんだん強く、そして奇妙な様相を呈してきた。
職場で使う文房具は、基本的に会社から支給されるものだが、A子は、もっともよく使うシャーペンや定規などは自分の物を使っていた。あるときEの文房具を見ると、その中のいくつかが自分とまったく同じものだったのである。
また、誰かがEに話しかけても、その返事をA子に向けてすることがあった。周りからは、「A子とEはラブラブやもんね」という冷やかしが聞こえた。反対に、人知れずA子自身にとっては、休憩のときに自分の話ばかりしたがるEは、実はやや苦手なタイプだった。
ただ、煩わしいというよりも、Eが距離を縮めてくるスピードの早さに、何か嫌な予感がすると言う方が近かった。

【勃発】

ある時、EにべったりくっつかれているA子を冷ややかに見ていた、同期のC子が、Eのミスを指摘した。するとEは、C子には返事せず、上目使いにA子のほうを見た。
それほどきつい言い方ではないし、助け舟を出すほどでもないとは思ったが、固まったようにEがこちらを見ているので、仕方なく「え、なになに?」とA子もC子の説明を一緒に聞いた。
気の強いC子がそれで収まるはずもなく、昼休みにEを呼び出してその態度をたしなめていた。

午後、C子がまだ席に戻っていないことを確認したA子は、席に着いたEに、「怒られた?」と聞いた。かなりきつく言われたのか、Eには表情がなかった。
A子が、「けっこうやられたみたいやね。ただ、あれはさすがにちょっとまずかったね」と言うと、Eは驚いたように目を見開き、しばらくたって、
「あの……、”さすがに”って何ですか?」
と、妙にはっきりした声で尋ねた。A子は腹が立つよりもまずびっくりした。
「えーっと……、たしかにC子はちょっと気は強いけど、返事せえへんかったら、さすがにC子じゃなくても怒るやろなって言うか……」
と答えた。
Eは、「分かりました」と答え、背中を丸め、いかにもどんよりとした雰囲気でパソコンに向かった。Eが何も話そうとしないので、それ以上は声のかけようがなかった。ああ、あの嫌な予感はこういうことだったのだ、とA子は思ったが、現実にはそれ以上の事態が進行することになる。
「さすがに、っていう言い方はまずかったのかな……?でも、他にどんな言い方が……。C子が怒った後で、私まで注意したのがだめだったかな?」
と、さっきのやり取りがずっと気になった。

その翌日、Eは会社を休み、それから時々会社を休むようになった。C子も、2〜3日は怒ったような顔をして気まずさを隠していたが、やがてまったくそ知らぬ顔を決め込み、EにミスがあってもA子に言うようになった。それをEに伝えるのは、当然ながらすごいストレスだ。直接言って欲しい。しかしもはや、会社で直接Eと話すのはほとんどA子ばかりである。
ただ、話すと言っても、以前とは明らかにEの態度が違っており、A子ともほとんど目を合わさない。それでいて、じっとこちらを見つめていることはある。Eが使っている文具は、当然ながら会社支給のものに変わっていたが、A子と同じシャーペンをゴミ箱に見出したときには、恐怖に近い感情を覚えた。
何か指示を出しても小さな声で返事するだけ。間違いなどを指摘すると、睨むような目をされる。A子はさすがに腹が立ったが、A子に攻撃性を向けるC子が同じ課にいるために、そういう不満を口にするのも怖い。集中を欠くA子のミスが増えだした。

【上司と面談】

ある日、EがD課長に別室で事情を聞かれた。事なかれ主義で有名な隣の課の課長であり、本来A子の上司であるBが休職中のため、仮の上司となっている40代の男性である。
Eが席に戻ってくると、次にA子が呼ばれた。Eは目を泣き腫らしていたので、またしても嫌ぁな予感。何でこんなことにならなければいけないのだろう。
Eのことで何か言われるのは間違いなかったが、別室で待っていたD課長は、いつものごとくほとんど表情を顔に出さないので、何を考えているのかまったく読めない。圧力のある空気を出すことにかけては、天才かもしれない。
「Eさんのことなんやけど……、えーと、どうなってんのかな?」
と、Dは切り出した。ひどく漠然とした質問だ。
この人は、いつも自分のほうからはなかなか情報を出さない。そして、そのことがまた何とも言えない恐怖心をあおる。
「あの、どうなってるかのかと言いますと……?」
A子が聞き返すと、Dは少し怒った顔をして言った。
「いや、ちょこちょこ休んでるでしょ?Eくん。」
「はい……。」
「だからどうなってんのと。何があったんかと。」
A子がこの件にからんでいることは、Dの中では既成事実になっているらしい。
「なぜそんなことになっちゃったのかは、私にはほとんど分からないんですけど、ある時、C子さんがEさんのミスを指摘して……」
と、A子は例のいきさつを説明した。

Dは、ほとんど机の上のメモ書きに目を落としたままで、こちらを見ずに聞いている。相槌すらあまり打たないので、話しにくいことこの上なく、A子は喉の渇きを覚えた。本来自分の課ではない部署で起きていることなので、彼にとっては厄介ごとでしかないのだろう。
いや、ひょっとするとこの人は、自分の課で起きていることでもこうなのかもしれない。
Dは不意に、
「まあ、彼女にしたら、いじめられてるっていうことみたいなんでね。」
と言った。A子は驚愕した。
「彼女が、いじめられてるって言ったんですか?」
「いや、いじめられてると言ったわけじゃない……。けどまあ、そういう話やね。」
と、Dは言ったまま黙っている。いじめられてるとは言ってないが、そういう話とはどういう意味なのだろう。Dはそれをはっきりさせず、さらにA子を困惑させることを言った。
「えらい子ども扱いされたとか言ってたけど。」
子ども扱い?!そんなこと言ったっけ?
A子は「"さすがに”って何ですか?」と言ったEの言葉を思い出した。百歩譲って、そう取れなくもない言葉かもしれない。
「え……っと、彼女は何と言ってたんでしょうか?やっぱり、私が彼女をいじめてるっていうことなんですか?」
Dはその質問には答えずに、
「まあかなり弱い子みたいやから、きちんと仲直りして、あんまり休まんように君からも言ってくれんとな。」
と言った。A子は渋々「はあ」と答えて短い話は終わった。認識からあまりに遠いことを言われると、人はかえって即座に反論できないものである。また、Dの言葉は、一見筋が通っているようでいて、意味がほとんど分からない。

A子としてはやりきれない。そもそもEの教育係は、入社2年目に過ぎない自分ではなく先輩だし、事の発端もC子から始まっている。なのに先輩もC子も呼び出されず、かなり無理のある形で彼女の面倒を見さされてきた自分だけが呼び出され、身に覚えのないことを上司から言われたのである。
また、仲直りしようにも、こちらとしては、Eに対してできる限りの気遣いをしてきたのであって、喧嘩したつもりも敵対関係になったつもりもない。また、Eのことで時間が割かれ、サービス残業が続いているが、当然残業については課長はいい顔をしない。そうした諸々のストレスから、胃の調子がよくないし、もともと順調な生理も遅れていた。
そもそも、彼女が課長に何と言ったのかが問題だが、課長はそれをこちらに聞かせるつもりはないらしい。つまり課長は、Eに対しても自分に対しても、同じようにまったく信用していないということだ。たったの1年間だが、自分なりに真剣に仕事し、それなりに信用も得ているつもりだったのに。
さらに、自分はいじめられることはあっても、人をいじめるタイプではないと自負しているが、課長にはそう見えていないということなのだ。

しかし反面、Eに対する自分の言い方や態度は、やはりきつかったのだろうか、というのも気になる。たしかに、何をするにもくっついて来て、文房具まで自分と同じものを揃えるEを、ちょっと鬱陶しいと感じたことは事実だし、その感情が言い方に現れたのかもしれない。
はじめて上司から呼び出されて、叱言(?)を言われたショックから、上司への怒り(というより絶望)と自責、でもそんなことを考えても仕方ないという思いの間を、行ったり来たりして、その夜A子はなかなか寝付けなかった。
こうしたことを話せる親ではなかったが、A子は自室で、誰かに話しかけるように自問自答した。頭の中で話しかけている相手は、いつものように死んだおばあちゃんだった。

【抑うつ感】

翌朝、布団から起き出すのがひどく億劫だった。結局2〜3時間しか眠れなかったこともあるが、今から支度して会社に行くという状況そのものが、恐ろしく高い壁のように感じられる。でも行かなくちゃと、A子はその壁を見ないようにして支度する。
いつもは、就業20分前には会社に着くように家を出るのだが、ギリギリに家を出た。もともと薄い化粧しかしないA子だが、今日は完全にノーメイクだ。

Eも昨日眼を泣き腫らしていたから、課長から嫌味を言われたのだろうし、今日はいつも以上にどんよりしているのではないかと、A子は想像していた。しかし出社してみると、Eが、むしろいつもよりはすっきりした感じになっているのに驚いた。ここのところずっと、背中を丸めている姿しか見なかったが、明らかに今日はさほどでもないのである。しかも、A子の姿を見て話をやめたが、何とC子がEに話しかけていた。注意や業務連絡ではなく、明らかに雑談のトーンである。
「こいつだけは、ほんまに……♯」
と思い、A子は思わず舌打ちしそうになった。小学校のときに、自分をいじめた女子とC子がまた重なる。
ただ、自分に問題があったのだろうかという思いから、昨日以来、怒ることすらできなくなっていたのが、C子に対して怒りを向けたことで、不思議といくらか活力が出た。

【騒動】

昼休み、A子はEを談話室に呼び出し、昨日上司と話したことについて、言葉とトーンに最大限の注意を払いながら話しかけた。
「昨日、Dさんから呼び出されたでしょ?私もその後呼び出されたんやけど、ちょっと事情が飲み込めてなくて……。Dさんとは、いったいどういう感じの話になったんかな?」
Eは見開いた眼をずっとこちらに向けるばかりで、何も答えない。自分をひどく怖がっていると見えなくもない。仕方なくA子が続けた。

「Eさん、最近ときどき休まはるでしょ。Dさんは、そのことと私が何か関係があると思ってはって、きちんと話し合いなさいって言われたのもあるねん。私は正直、あんまり覚えがないんやけど……。
でも、私はそんなつもり全然なかったんやけど、もし私がEさんを傷つけるようなこと言ったんやったら、それは謝らなあかんし……。」
「………… いいんです……。もういいんです。」
とEは答えた。

A子はさすがにイライラしてきた。もういいと言うなら、なぜ最初から私を貶めるようなことを上司に言うのだ。それでもA子は、あくまでも感情を抑えて言った。
「うーん……、やっぱりそれはいいことないと思うよ。お互いわだかまりがあったら、仕事にも支障をきたすし。現に、Eさんちょっと休みがちやから、このままだと周りにも迷惑かけちゃうしね。」
本当は、すでにかなり迷惑をかけている。だがEは、再び眼を見開き驚いたような顔をして、
「分かりました。……………… もういいですか?」
と言った。「もういいですかって……」と、A子はあきれてつぶやいたが、これ以上の話し合いは不可能と判断し、「これからどうして行ったらいいか、お互い考えようね。」と、A子は感情を抑え抜いて、話を打ち切らざるを得なかった。

返事もせずに立ち上がったEは、そのままトイレに行ったようだったが、彼女は午後の就業時刻から30分過ぎても戻ってこなかった。明らかに異常事態である。トイレにこもって泣いているのだろう。A子は、思わずため息をついた。
自分がEを呼び出したことは、他の女子社員たちの何人かはすでに知っているはずだ。その直後にこれなのだから、みんなはどう思うことかと思い、頭がクラクラする。
A子は、正直これ以上Eに関わりたくなかったが、立場上やはり自分が見に行かざるを得ない。
また、万が一、急にEにいい顔をしだしたC子が、「私見てきます」などと言い出すと、状況は自分にとってさらに不利になりかねない(まず、そんなことするはずはないのだが)。
先輩にだけ断って、A子がトイレを見に行くと、やはりドアが一つ閉まっている。来る前に仕事場を見渡し、誰もトイレに行っていないことは確認したので、中にいるのはまず間違いなくEである。

ノックして「すみません、Eさんですか?」と何度か呼びかけると、中で何かぶつぶつ言っているのが聞こえた。確かにEの声である。また、何と奇妙なことに、独り言の合間に、「フフフフ……」という笑い声もたしかに聞こえる。しかしA子の呼びかけには応えない。
A子は慌てた。大学時代にトイレにこもり、リストカットしていた同級生(友人ではない)がいたのを思い出したからである。

5分ほど呼びかけても状況が変わらないので、誰か上の人を呼びに行こうかと思ったその時、不意にドアの鍵が開いた。A子が開けてみると、まるで幽霊のような姿でEが立っていた。
A子が「保健室、行こうか」と言うと、Eは、表情はないままだが、案外素直にうなずいて着いてきた。後でEが多量服薬していたことが分かったのだが、薬の臭いが鼻を衝いた。目を離すとどこかに行ってしまいそうな気がしたので、A子はすぐ後ろから着いていくことにした。

Eは、保健室には向かわずに、仕事場の方に行こうとした。「あれ、そっちじゃないよ」とA子は呼びかけたが、Eはちらりと振り向いただけでそちらに向かう。
手を引っ張るのも怖かったので、オロオロしながらそのまま着いていくと、Eの異様な雰囲気を察した何人かの社員がこちらを見た。D課長の近くに通りかかったあたりで、不意にEはしゃがみ込んで顔を覆い、「ワーーー!」と泣き出した。想像していた以上の最悪の状況だ。
A子はどうすればいいのか分からず、隣にしゃがんだが、Eはそのまま床に倒れこみ、そして動かなくなった。その一連の動作は、ひどく演技的に見えた。

ザワザワと人が集まってくる。すぐに起こしていいものかどうかも分からず、皆が腕をこまねく中、C子がことさら気の毒そうに、
「朝はわりと調子よさそうやったのに。」
と周りに聞こえる声で言った。明らかに、A子に呼び出され話したせいでEがこんな風になったと、間接的に強調していると受け取れなくもない。A子は再び、「ほんまに、こいつだけは…♯」と思ったが、同時に、この状況の中でそう思っている自分の冷静さに驚いた。
「保健室に行って、ナース呼んできます」と、A子は走った。Eは病院に運ばれた。

翌日出社すると、まず同じ課の先輩が小声で、
「A子ちゃん、昨日大変やったねぇ。」
と声をかけてくれ、他にも心配してくれる者が2〜3人いた。こちらの大変さを分かってくれる人がいたので、思わず目が潤んだが、問題は、この後再びA子を呼び出すであろうD課長の反応である。
朝いきなり呼び出されるのかと思っていたが、昼食を終えても声はかからず、Dはただ難しい顔をしているだけで、こちらを見ることすらなかった。

ようやく声がかかったのは4時過ぎだった。会議室の椅子に座るや、Dはイライラした様子で、
「僕は、仲直りするようにって言ったよね?」
と切り出した。この第一声はA子を打ちのめし、次の言葉がなかなか出てこない。
「はい……。あの……、私もそうしようと思って、Eさんと話したんですけど……」
「だったら何でああなるの?」
「…………。」
「おかしいでしょ?」
絶句したA子の頬を涙が伝ったが、Dは一方的な叱責をやめなかった。

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