いじめ・幸朋カウンセリングルーム用語集

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用語集 『いじめ』

人は往々にして、地位が上位の者から強い圧迫を受け続けていると、自分よりも弱い立場の者、あるいは少数者(マイノリティ)を圧迫することで、その鬱積を晴らしたり、自己愛を満たそうとしたりすることがある。
そして、それがいじめの本質であると私は考える。

だから、他者をいじめる者は、常に自分が優位に立つ者であることを、相手に誇示しようとする。
大部分のいじめが、人数の多さを頼みにし、少数者(多くは一人)に対して行われるのはそのためである。
場を支配する人物や組織からの理不尽な押さえつけが強い集団で、いじめが起きやすいのは、そうしたためであろう。

逆に言えば、いじめがしょっちゅう起きる学校や企業では、上からの理不尽が常に横行していると見るべきである。
学校での陰湿ないじめが確実に増加していることについても、教育関係者は、その原因を深く自覚せねばならない。

校則に「禁止」の文字が多く、教員が高圧的で、また生徒に劣等感を感じさせる傾向が強ければ強いほど、それぞれの学校では一見効果をもたらすように見えても、日本の学校全体でのいじめの数は増えるのだ。

以前、このことについてブログで触れたことがあったのだが、ある学校教員の方から、「生徒への締め付けが強いはずの偏差値の高い中高では、いじめが起きない」といった内容を含むコメントをいただいた。
その方は好意的な共感も含みつつ、1つの提言ないしは助言としてそのコメントを下さったのだが、カウンセリングの現場に携わっているかぎり、その捉え方は実情とかけ離れていると言わざるを得ない。

例えば中学の場合、あからさまにいじめをしたとなると、当然内申書に響く。
高校でも、偏差値が高いところでは、概して教員の権力は絶対的である傾向が強いので、空寒いほどに陰湿で、周囲からはいじめているとはまったく見えないやり方で、確実に心理的に追い込んでいくというやり方が横行しているのである。
また、大人の世界で言うところの、モラルハラスメントに当たる形での集中攻撃も見られる。

ともあれ、少しでも生徒への圧迫を減らす発想が、教育者側からはどうしてほとんど出てこないのか、理解に苦しむ点である。
いや、私の知っている限り、それを真剣に考えたことのある教員は、かなりの確率でうつや適応障害を発症している。

ところで、昨今の日本の中高では、「スクール・カースト」なるクラスの構造が生まれている。
これはつまり、クラス内の生徒全員が、一極的に序列化される現象である。
そうした場では、世慣れていて大人の世界を知っており、物おじせずに人とコミュニケーションをとることができるかどうかで、クラス内での地位が決定するらしい。

どちらが先だったのかは分からないが、こうしたコミュニケーション能力偏重の傾向は大人社会、つまり企業内部でも顕著なようだ。
長年、経理事務を確実な仕事ぶりでこなしてきた人物が、ある日突然「マルチプレイヤーであれ」などの考え方から営業に回され、うつを発症するといったケースが後を絶たない。
「適材適所」という考え方がなされず、なぜ全員がマルチプレイヤーでなければならないのか理解に苦しむ点だが、これもまた、「外向性は高ければ高いほどいい」という、価値観の一極化による弊害という面が強い。

少し目先を変えた話をしたい。
様々な霊長類、すなわちサルの群れを研究してきた研究者によると、群れ内の完全序列化は、例えばニホンザルなどに顕著なのだそうだ。
実際ニホンザルの群れでは、地位の上位者が下位者をいじめる行動がよく見られる。
もちろんそれは、地位の確認のためである。

それに対して、ゴリラやチンパンジーなど、より高度な知能や社会性を持つ類人猿においては、下位にあるはずのサルが上位者を餌場から追い出したり、上位者が下位者のご機嫌伺いをするなど、群れとしての行動がより複雑で、下位者であっても自由度が高く、かつ上位者すなわち強者が優しいという印象を受ける。
してみると、日本人の社会性は類人猿を通り越すレベルにまで退化してしまったのではないかと、深く懸念される。

仮に百歩譲って、物おじせずに人に話しかけることのできる性格が、コミュニケーション能力の高さだとしても、それが必ずしも社会性の高さ、ましてや能力全般の高さを意味するのでないことは、はっきりと自覚しておかねばならないことだと思う。

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