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職場のうつ 1

決して非難するわけではないが、うつの方が書いているブログには、少しでも心穏やかに無理をせず、少しでも淡々としていたい、という気持ちのこめられたタイトルのものが多い。
おそらくその人たちは、医師やカウンセラーなどの治療者から、「とにかく無理をしてはいけない」と指導されているか、ネット上の情報からそう心がけているのだろう。

たしかに、治療者がうつの人に「とにかく無理をしないこと」というアドバイスばかり繰り返す傾向は強い。
だがしかし、これは必ずしも常に正しいとは言えない面がある。

うつとは何なのか、それを感情面からいうと、(双極性障害のうつ転などは事情が異なるが)「怒れなくなることだ」と断言してもほぼ間違いではない。
怒れなくなった状態とは、他者に向けるべき攻撃性のエネルギーまでが自分に向かってしまい(つまり闇雲に自分ばかり責め)、劣等感コンプレックスが異常に肥大・複雑化した状態である。
だから、怒れなくなってしまった人に対して「少しでも穏やかに」と指導するのは、かえってますますエネルギーを内向させ、病理を深めてしまう面があるのだ。

またたしかに、おもに長時間労働が原因で自律神経系に変調をきたし、うつを発症した人などの場合、いったん休職するなりして会社から距離をとることは比較的有効である場合が多い。
しかし、人間関係やパワハラでうつになった人の場合、怒りの内向による劣等感の肥大という複雑な問題をはらんでいるだけに、かなり事情が異なっている。
治療者は、ここの区別をまずはっきりとしておくべきである(中間的なケースはあるが)。

後者の場合、長期間会社から離れても、その間仕事のことを忘れていられるかというと、なかなかそうはいかない。
むしろ、取り残されていく不安に締めつけられる分、頭のどこかではますます会社や仕事のことが大きく膨らみ、劣等感は強まる一方である。
つまり、見た目の休養をとればとるほど、かえって状況を悪化させてしまう場合も少なくないのである。

それに、責任のかかる仕事をきちんとこなすことなしに、劣等感からは解放されるべくもない。
ただただ見た目の平穏さを人為的に拵えても、「自分は本来、きちんと社会的にやれる人間なんだ」ということを確認する機会を失ってしまっては、劣等感から立ち上がる手がかりをなくしてしまう。

その人が会社に行けなくなったのは、会社からどうしても「飲み込むことのできない」状況を背負わされたために、拒絶反応が出てしまった結果である。
だから、当然ながら、休職という方法がよい結果をもたらすのは、当人が休んでいる間に会社側が有効な職場改善・体質改善を行なった場合、ということになる。
つまり、場の歪みや矛盾を真面目な人が背負わされてしまった結果、うつを発症した場合、職場そのものが変わらないことには、症状の改善は非常に難しいのである。
だが、現実に職場のほうが改善されることは、きわめて稀である。

もちろん、職場体質のしわ寄せを背負うほうが悪いとは考えるべきではない。
むしろ、背負ってしまう方が人間として善良であるし、そもそもその人が背負わなければ別の誰かが背負わざるを得なかった矛盾が、その職場にあったからである。

ただ、その休職という時間が、単に休養するためのものではなく、本人が会社内で体験したことを振り返り、自分が会社の要求に応えられなかった正当な原因、そして、会社あるいは上司の矛盾を見極めることに当てられるならば、症状改善にかなり有効だといえる。
うつになった人の劣等感には、常に「他者を高く評価しすぎる傾向」がセットになっていることを認識しなければならない。

場の矛盾を背負わされてうつになった人の大部分は、自分の心にうそがつけないために、ずるいことができないという性格を持っている。
もし何か、少しでもずるいと思えるようなことをしてしまった場合など、いつまでも罪悪感にとらわれてしまう。
そして、自分自身「ずるいことをしない」のがあまりに当たり前であるために、誰しもが同じ考え方・同じ感覚を持っていると考えがちなのである。
だから、周りにずるいことをされるとショックも大きく、それができない自分がダメ人間なのだという発想にまで陥っていく。

当然ながら、その意味で現実は過酷である。
おそらく近代以前は、倫理観が地域や親戚付合いのコミュニティを通して世代から世代へと伝えられたのだろうが、現代社会で高度な倫理観が成立するのは、ごく一部の性格や能力の持ち主に過ぎないのである。

たとえば、過去にいじめられた経験のある人が、口をそろえたようにする話がある。
同窓会や何かで昔自分をいじめた人と会ったとき、いじめた方は自分のしたことをまったく覚えていないことに驚愕させられるというのである。

いじめた側にいじめた意識がないのは、断じて「罪のない」ことでも「仕方のない」ことでもない。
その人物の性格や視野の狭さのせいであったとしても、された方は「きちんと」怒っていなくてはならないのだ。

「人を恨むのはよくないことだ」という考えにとらわれていたクライアントが、カウンセリングを通じて「私はあの人を恨んでもいいんだ」という考えに至ったとき、大きく症状の改善する場合が少なからずある。
もちろん、その人に心の準備ができてからであるが、私の場合「一生恨み続けてやるべきですね。許す理由などどこにもない」とはっきり言葉にすることがある。

その人は、誰かを恨む心に捕われてうつになっていたのではなく、恨んでしまうことの罪悪感にとらわれていたことが、うつ病理の大きな一因となっていたのである。
「恨んでいいんだ」と心から思えた時から、不思議とその人のことを思い出さなくなったという人も少なからずいる。
その対象は、親兄弟であることも少なくない。いや、むしろ多いと言える。

以前の記事で、「うつの人は、勇気を持って周囲の言葉に耳を貸さなくなる必要がある」と述べたことがある。
言い換えるならば、周囲を見下すことになるのを恐れてはいけないということである。
どの道、根本的に性格が違うのだ。だから、周囲の言う教訓など、うつの人の人生にとってほとんど意味のないことばかりなのである。

「おかしいのは自分ではない。周りなのだ」と思うことは、ひどく傲慢に感じられてしまうため、これがなかなか思えない。たしかに、口に出して言うことはお勧めではないが。

私の場合、とことんまで精神的に追い詰められたとき、「おかしいのは自分ではなく、実は周囲なのでないか」という一か八かの仮説を立てた。
そして、あらゆる現実をその仮説に基づいて見直すと同時に行動してみたとき、どうしても割り切れなかった矛盾やわだかまりが次々と解明され、解消されていったのである。
それは、「自分は狂気か、それとも誰よりも正常か」という厳しい問いであったため、それには大変な緊張感をともなった。
10年もの間、私が強烈な不眠症状に見舞われたのは、うつの症状というよりもむしろ、その緊張感のためだったのではないかと思っている。

「自分は間違っていないはずだ」と、自分に言い聞かせることの恐怖。うつ性格とはそうしたものである。
この恐怖を乗り越えることが、その時の私にとっての課題だったのである。

激しすぎると思われるかもしれないが、うつの人で誰かを恨んでいる人は多いが、たいていの場合まだまだ甘い。
うつの人が周囲からこうむった心的被害は、断じて生半可なものではない。
誰よりも、うつの人自身がこのことを知るべきなのだ。

うつの人に必要なのは、単に見た目に無理をしないことでもなければ、ざわめく心を押さえ込んで無理に平静を装うことでもない。
冷徹なまでの状況の見極め、傲慢になることを恐れない勇気、少数派であることの誇り、そしてあくまでも自分らしく生きることへの、徹底したあきらめの悪さである。

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